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2001年4月号(Vol.2)掲載 (2018年11月18日リニューアル掲載)
壁と僕とベルリンと | 松浦 孝久 |
ペーター・フェヒターの十字架から、ツィンマー通りをさらに南へ歩いてみる。すると、前方から1人のアメリカ人らしい青年が壁際をこちらに向かいなが ら、何やらわめいている。近づいて来ると、両手を大きく広げて "Tell me why! (なぜだ!)" と叫んでいることが分かった。どうやら壁を見て興奮しているらしい。人の往来や交通を無情にも断ち切る壁の存在に対し、自分の疑問や感情をストレートにぶつけている感じだ。その点、殆どのベルリン市民や僕なんかは、壁があることを前提にしているから、壁を見ても「なぜ壁があるんだ?」という疑問も起きないのかも知れない。
件(くだん)のアメリカ人をやり過ごすと、この先はしばらくオフィス街が続 く。壁際ぎりぎりまで会社や工場の敷地になっていて、なかなか壁に沿って歩くこともできない。僕みたいな壁マニアにはちょっと残念だが、この辺は昔はベル リンの中心街だったから仕方ないか。それでも建物の切れ目や、道路が壁まで達している部分では見える。
「でも考えてみると、どうもおかしいぞ。壁は厳密な境界線より少し東側に下がった所に建てられているわけだ。だから壁際ぎりぎりの部分ってのは、領土的には東ベルリンに属してるはずだ。だから工場やオフィスが壁際まできっちり閉じるように柵を立てる理由はないんじゃないの…。東側の土地を勝手に占拠してることになるじゃないか。歩かせろー」
しょうもないことを考えながら迂回して歩いていると、やがてツィンマー通りが終わり、リンデン通りと交差するあたりで再び壁に出会った。ここには木製の物見台があった。物見台というのは西ベルリン市が建てた高さ2~3メートルほどのもので、上ると壁の向こう側が見渡せるようになっている。この物見台は壁際の所々に置かれていて、道行く市民や観光客が上って東側を眺めている。
僕もさっそく上って東ベルリンを見た。壁の裏は幅約30メートルの無人地帯になっている。ここはもちろん東ベルリン側なのだが、市民は立ち入り禁止。ここを通り抜けて西ベルリンに亡命する者が出ないよう東独の国境警備隊が厳重に見張っている。監視塔があったり、警備隊用の幅2メートルくらいの舗装された道などの設備がある。実際に警備兵がパトロールしている姿も時おり見える。
その先には東ドイツの官庁系らしい建物が並んでいたり、20階建て以上の高層アパートがある。そして、こうした建物の間に東ベルリン側のテレビ塔(高さ365メートル)が見えて、ちょっと感動的だった。
テレビ塔に見とれていると、物見台に上って来た中年女性が声をかけてきた。地元の人のようだった。
「右に見える建物あるでしょ。縦線が縞々っぽく見える あれ、ナチス風の建築スタイルなのよ」。
彼女が指す方を見ると壁のこちら側 (西ベルリン側)ではあるが、5階建てくらいの茶色の建物があって、前面は縦の枠が強調された様式になっている。確かにヒトラーの総統官邸や当時の役所なんかと似た印象を受ける。
「やれやれ。壁だけじゃなくて、ベルリンってのはナチスの亡霊まで背負っているのか…。とんでもなくエキサイティングな街だな」。
そんなことを思いながら、僕は再び壁に沿ってリンデン通りを歩き始めた。
執筆/画像提供 松浦 孝久 |