2001年5月号(Vol.3)掲載

壁と僕とベルリンと
第3回 「東西でこんなに違う鉄格子の意味」
松浦 孝久

 リンデン通りを歩き始めると、壁沿いに車がびっしり駐車してある。本当は大きな道なのだが、壁があるために交通が途絶えていて、車を止めるにはちょうどいい場所になっている。他に迷惑をかけるわけでもない。なによりも、壁際ぎりぎりの場所は東ベルリンに属しているため、西ベルリン警察は取り締まりようもないのだ。
「うまくできているものだ。土地不足の西ベルリンにはピッタリの魔法じゃないか」

リンデン通りの壁に沿って置かれた車の列。 実は東ベルリンの領域だ。


 当たり前だが、このあたりではベルリンの壁は東西ベルリンの境に立っている。しかし、もともとベルリンは東地区とか西地区とかあったわけじゃない。話はさかのぼるが戦争(第2次世界大戦)が終わって、ドイツ全体はアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の戦勝4か国により分割され占領された。ドイツの首都であったベルリンもまた4か国によって分割され、占領統治された。その際、ベルリンを構成している地区をもとに分割された。ソ連がミッテなど8地区を、アメリカは6地区、イギリスは4地区、フランスが2地区を占領した。そして、ソ連の占領区をまとめると、ほぼ東側半分、米英仏3か国の占領区をまとめるとベルリンの西側になる。

境界線が複雑なクロイツベルク地区。この先で壁も直角に曲がっている。


 いま僕が歩いているこの周辺はクロイツベルク地区でアメリカの占領区だ。したがってこの付近の壁は、アメリカ占領区のクロイツベルク地区と、ソ連占領区のミッテ地区との境界線に立っている。このリンデン通りが境界ってことだ。じゃあ、もっと厳密に考えて、このリンデン通りのどこに正確に境界線があるのだろう。道路の真中か、端か? 答えは、歩道も含め道路全体が東ベルリンに属している。リンデン通りを含めてミッテ地区だ。だから西ベルリン側では、道路沿いの家や建物の玄関を出た人は、その瞬間に東ベルリンに入ることになってしま う。ベルリンの置かれている奇妙な現実だ。

コマンダンテン通り。壁の向こうに東ベルリンの超高層アパートが見える。


 境界線が複雑なため、壁も右へ左へ曲がりながら続いている。
「作るのも面倒だったろうなぁ。それでも建てなきゃいけないほど東ドイツにとって壁は必要なものなんだ」
と納得。そんなことを考えながら歩くうち、あることに気づいた。西側の建物と、壁の向こうの東側の建物の違いだ。こっちの建物は地上階の窓には鉄格子がはまっている。防犯対策であることはすぐに分かる。これに対し壁の真裏にある東ベルリン側の建物は、ずっと上の階まで鉄格子がはめられているではないか。もちろん、こちらは亡命を阻止するためのものだ。へぇー、と思うが、実際に壁際の建物から亡命したケースも過去にあった。

本来はベルリンの中心街にあたるのに、壁があるためうらぶれた寂しい場所になってしまった。
地元の人がときおり通るくらいで、チェックポイン ト・チャーリーから歩ける距離なのに観光客は殆ど来ない。


 1965年7月、チェックポイント・チャーリー近くの建物屋上から、ワイヤーを西ベルリン側に張り、手製の滑車を使って一家3人が亡命を果たした。近くに警備兵もいたのだが、夜半だったため気づかれることもなかった。こんな経験もあるためか、東独は壁際の管理には徹底して気を使う。いま向こう側に見えている建物はオフィスのようだが、中で働いている人だって当然、身元調査はされているだろうし、そのうえで鉄格子をはめられた鳥かごのような建物。さらに隣には監視塔まで立っている。「同じ鉄格子でも、かたや外から中に侵入するのを防ぐもの。かたや中から外への逃亡を阻止するもの」。複雑な気持ちになった。

すべての窓に鉄格子がはめられた壁の真裏にある東ベルリンの建物。
右手には監視塔が目を光らせている。

壁に面した西ベルリン側の建物は、地上階だけに鉄格子が取り付けられている。

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
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