2001年9月号(Vol.7)掲載

壁と僕とベルリンと
第7回 『ベルリン・天使の詩』の壁
松浦 孝久

 息が詰まるような狭い路地裏を通り抜け、道が広がると、壁に描かれている落書きが目に付いた。クロイツベルク地区のルッカウ通り。イースター島のモアイ像みたいな人物がたくさん並んでいる絵だ。細長い顔を横から見たような形で、目はまん丸。口の部分には唇があったりなかったり。ほんわかした雰囲気が伝わってくる。実はこのモアイ像、壁アーチストとして有名なフランス人、ティエリー・ノアール氏が描いたものだ。
 この作品だが、ノアール氏は単なる落書きで描いたのではない。映画「ベルリン・天使の詩」撮影のため1987年2月に、わざわざ描いたという。2月といえば真冬。マイナス12度にもなる厳寒の中、半日で完成させたらしい。壁の落書きは、どんどん上書きされていくので、今日あった絵が明日には別の絵になっていることもある。ここで彼の絵に出会えたことはラッキーかもしれない。

壁に描かれている顔の列はノアール氏の作品。
映画「ベルリン・天使の詩」のために描いたものだという。
右手には大きめの物見台があり、観光客らしい人たちが上っている。


 その先の角になっている場所に、東ベルリン側を見渡せる物見台が立っている。西ドイツから来たらしい数人の観光客が上っている。彼らと入れ替わるように僕も上ってみた。

物見台から東ベルリン側を見る人たち。右に監視塔、写真中央には東ベルリンのシンボルとも言えるテレビ塔がうっすらと見える。


 すると、いきなり視界に飛び込んできたのは、壁の向こうの白い監視塔だった。ほとんど目の前だ。中には2人の警備兵がいて、こちらの様子をうかがっているようだ。2人とも若い。僕がカメラを構えると、すかさず1人が双眼鏡を構える。双眼鏡で顔を隠して写真を撮られないようにしながら、同時に僕の風体をチェックするのだ。

物見台に上って東ベルリン側を見る。目の前に監視塔があって、ちょうど軍用車が通り抜けていくところだ。

監視塔にいた警備兵。僕がカメラを構えると同時に双眼鏡でこちらを見る。もう1人は窓の後ろに隠れている。


「来やがったな…。こちとら壁をずっと歩いてるんだ。そんな脅しには乗らねえぜ。」
 確かに、いかつい軍服の兵士に双眼鏡でジロジロ見られると、いい気分ではない。写真を撮るのをためらったり、そそくさと立ち去ってしまう観光客もいる。そして、もう1人の警備兵は、僕のカメラを気にして窓枠の後ろに隠れる。いずれも、カメラを向けると警備兵が必ず取る行動だ。警備兵たちは自分自身が写真に撮られることを極端に警戒する。
 警備兵の任務は通常は8時間交代。常に2人組だ。万一、亡命者や西側から攻撃された場合、1人が応戦し、他の1人が司令部に連絡を取ることが可能──これは誰でも考えることだ。それとは別に2人組で勤務させる理由で、確実に言えることがもうひとつある。それは、警備兵自身が亡命しないよう互いに見張りあうということだ。そのため気心の知れた者どうしがペアにならないよう組み合わせが決められるという。
 互いによく知らない者が一緒になれば、疑心暗鬼が働くというものだ。そのうえ警備隊内には国家保安省(秘密警察)の関係者が一般隊員として勤務していて、隊内の不穏な空気を察知したり、隊員の中で亡命しそうな者がいないか探りを入れているという。 もちろん秘密警察につながっていることは絶対に周囲には漏らさず、あくまでも普通の兵士を装っている。その人数も想像以上に多く10人に1人の割合で紛れている、という情報もあるほどだ。

物見台から左手を見る。壁は右手に直角に曲がっている。前方に見えるアパートの真下は、前回歩いた「息が詰まりそうな」路地だ。

もう少し右に視線を移動してみると、右手にこげ茶色のアパートが見えてきた。
これは東ベルリン側の壁の真裏に立っているもので、前回見た「謎の美女」がいたアパートだ。


 その時、壁の裏の無人地帯に動くものがあった。ハッと思って目を向けると…ウサギだ。2羽のウサギが駆け抜けていくではないか。ネズミ1匹通さない監視の徹底ぶりかと思っていたのに、無人地帯内にウサギがいるとは。20メートルほど先に立って警戒している歩哨の兵士たちはまったく関心がないようだ。無人地帯内は、東ドイツ側は除草剤を使って更地にしようと努めているが、それでもかなりの広さの草地があってウサギが見られることも多いようだ。

壁越しに見たウサギたち。全力で無人地帯を駆け抜けているように見える。草地があるのでウサギも住みやすいのだろう。


「壁が無ければ、この辺は道路だよ。ウサギなんか住める環境じゃない。ってことは壁があるからこそウサギも住めるってものだ。」
 人間には厳しい壁も動物には優しいのか?なんか変だけど間違いではない気もする。

壁の裏で監視につく警備兵の2人組。ウサギが無人地帯を駆け回ることには無関心だった。

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
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