本文中のテキスト、画像の著作権は執筆者に帰属しています。 テキスト、画像の複製、無断転載を固く禁じます。
2002年11月号(Vol.20)掲載 (2020年3月20日リニューアル掲載)
壁と僕とベルリンと | 松浦 孝久 |
薄暗い、寂しげな裏通り。ちょっとでも天気が悪いと、ノイケルン地区の壁際は、じめじめしていてカビくさい。そんな静寂を打ち破るかのように、子供達の騒ぐ声が耳に突き刺さってきた。この辺に住んでいるんだろう。小学校低学年くらいの数人が走り回って遊んでいる。何が面白いのか、ただキャーキャー騒いで追いかけっこをしているだけだ。僕は子供たちの横を通り過ぎて、その先の物見台へと急いだ。しかし甘かった。ボールやおもちゃも持たずに走り回っているだけの子供にとって、僕は恰好の標的だったみたいだ。
「ねーねー、どこから来たの?」「へぇー、日本?」「こんな所で何してるの?」「カメラで何撮るの?」…… 黙ってやり過ごすこともできず、適当に答えながら歩いていくと、今度は僕を〝攻撃の対象〟というか、遊び相手にしてきた。後を追いかけてきてジャケットの裾を引っ張ったり、道端で引っこ抜いた雑草を投げつけてくる。集団でいるためか見境(みさかい)がない。「おいおい、カメラ持ってるんだから、泥は投げないでくれよ」。ガキ連中の攻撃をかわしながら僕は物見台に上った。
目の前に幅10メートルほどの無人地帯が横切っているのは、いつもと同じだった。そして、その真裏に東ベルリンのアパートが見えるのもいつもの光景だ。しかし、僕の目を釘付けにしたのは、住人らしき人物らがバルコニーに出ていることだった。東独の警備隊が最も神経を使う、無人地帯の真後ろの部分。アパート2階にある1畳ほどの狭いバルコニーに中年の男女3人が出て外を見ている。そこから飛び降りて、西ベルリンへ…という亡命を考える人がいてもおかしくないほどの状況だ。だが、現実は違う。そういう家に住めるのは体制に順応している人だけ。きっと彼らも党の要職についているか、政府の関係者なんだろう。
彼らが立っている真下には、壁のほかに有刺鉄線を張り巡らせた鉄条網が立っている。この鉄条網をよく見ると、それぞれの有刺鉄線には緑色のリード線が接続されていて、明らかに電気が流されていることが分かる。情報によると、電圧は24ボルト。警報装置につながっているという。感電するほどではないが、亡命者が鉄線に触れたり切断することで電流の流れが変わると警報装置が作動する。警報信号は、司令官が常駐する大型の監視塔内に届くようになっていて、どの地点で発報があったのか机上の装置に示される。
刑務所じゃあるまいし、こんな鉄条網の裏側で暮らすなんて信じられない。普通の人なら誰でもそう思うはずだ。しかし…。目の前のバルコニーに立っている彼らには、そういう感情は絶対ないと僕は確信した。きっと筋金入りの体制派に違いない。その証拠に、彼らは確かにバルコニーに出て外を見ていたが、決して西ベルリン側を見ようとはしなかった。
執筆/画像提供 松浦 孝久 |