2002年12月号(Vol.21)掲載 (2020年4月30日リニューアル掲載)

壁と僕とベルリンと
第19回 〝トマソン〟の宝庫
松浦 孝久

「おい、こんな所で写真なんか撮らないでくれ!」
 ノイケルン地区のアパート際で足を止めてカメラを構えていると、すぐ後ろで雑草や切った木の枝を片付けていたオッチャンが声をかけてきた。カタコトの英語だった。きっと僕が物見遊山の観光客に見えたからだろう。およそきれいとは言い難い裏通りを観光客に面白半分に撮影されるのは、地元民なら誰だって嫌だ。
「僕は学生で、壁の写真を撮ってるだけなんだけど」
 するとオッチャン、「なんだー、そんなもの撮ってるのか…」と言って、休めていた手を再び動かし始めた。旅行者でないことは分かってもらえたようだ。実はその場所では、どうしてもフィルムに収めておきたいものが壁際にあったのだ。

壁際にはゴミが散乱しており、薄汚い雰囲気が漂う。ハイデルベルク通りの名前を示す標識がむなしい。


 それは「門扉」。家の敷地に入るための門だ。壁のまん前に金属製の扉だけがある。高さ1メートルくらい。もちろん壁が建設される前、ここに立っていた家のものだが、壁構築に伴い家や垣根は取り払われたものの、この門扉だけが残されているという状況だ。壁の前にポツンと、ひっそりと立っている門扉を、壁をバックに撮りたかった。オッチャンの誤解が解けたので、安心した僕はじっくりピントを合わせ慎重にシャッターを切った。こうした存在意義が失われた建造物などは「超芸術・トマソン」と呼ばれ、愛好者がいる。この門がトマソンであるなら「無用門」とか「純粋門」というカテゴリーに分類されるはずだ。しかも、この門扉のノブには南京錠が取り付けられており、しっかりとロックされている。この意味のなさ、そして門だけが残されている風景は、異様というより、おかしささえ醸(かも)し出している。

これがトマソン物件。「無用門」などと呼ばれるはずだ。建物や塀を取り壊した時に、なぜ門だけ残されたのか…。


 オッチャンを気にしながらの撮影を終え、ちょっと歩くと壁は左手へ直角に曲がっている。角の部分にはリンゴ(?)の木があって、小さな赤い実をつけている。その角を曲がった所に物見台がある。上って見ると、これまで歩いてきた路地や壁がまっすぐに見える。一直線に3基の監視塔が並んでいる。けっこう壮観だ。無人地帯は幅10メートル程度という狭さ。警備上の弱点を補うためか、無人地帯には深さ1メートル以上の溝が掘られている。壁を挟んで東西ベルリンのアパートが向き合う風景は、いつもながら分断の現実を見せ付けている。

直角に曲がる壁。左方向に伸びるのが歩いてきたハイデルベルク通り。標識そのものがトマソン物件か!?
ちなみに右手はトレプトウ通り。

壁の曲がり角には物見台があった。左に見えるアパートは、もちろん西ベルリンのものだ。

物見台に上ってみたところ。目の前の木には小さな赤い実がなっていた。

壁の裏側(壁の右手)にある無人地帯は狭い。亡命を阻止するために溝が掘られているのが見える。

無人地帯をアップにしてみると、3基の監視塔が一直線に見える。(画像が汚れています。ご了承ください)


 物見台の上からふと右手を見ると、数メートル先の木の下に赤茶けたレンガ作りの塀のような物が立っていた。長さは5メートルくらいか。あわてて物見台を駆け下りて近寄って見ると、まぎれもなく塀だった。壁の前に立つ塀。かつてはちゃんとした塀だったが、壁建設で取り壊す際、どういうわけか一部だけが残されたのだ。おお、これぞ究極のトマソン!? と喜んではみたものの、よく考えてみたらベルリンの壁ってトマソンの宝庫なんだよねー…との思いに至った。

壁の前の「壁」。これもトマソン物件か。この部分だけ撤去されなかった理由が知りたい。

別の物見台から歩いてきた方向を振り返ってみたところ。無人地帯の道路をパトロールの軍用車が走っている。

トレプトウ通りの行き止まり。
壁の向こう側には貨物線専用の高架鉄道が見えるが、壁で遮られており列車は走っていない。

高架線の上には鉄条網があって、その背後に監視用の小屋がある。中には警備兵が詰めている。

監視小屋のアップ。中にいる警備兵は双眼鏡で私を見ている。

監視小屋の右手には歩哨の警備兵がいるが、私がカメラを構えた途端、撮られるのを嫌がって後ろを向いてしまった。


 古くは壁構築が始まった当初、壁際にあったアパートの窓が亡命に利用されるのを阻止するためレンガなどで塞がれたことがあった。これなどは「無用窓」とも呼ぶべきトマソン物件の代表格だ。そして最近のケースでは、道がないのに道路名を示す標識が立っているのをよく見かける。ベルリンの壁という政治的な事情により生み出された、こうした物件がトマソンとして価値があると言えるのか、ぜひトマソニアンの皆様に伺いたいところだ。

無人地帯を走る警備兵のオートバイ。
その裏側の東ベルリンの道路には車が駐車してあり、市民の生活が壁近くまで迫っていることを示す。

壁をまたぐように立つ高架鉄道。線路上にも壁が作られており、列車は走れない。

壁の手前はゴミ廃棄場のようだ。緑色の2階建てバスも捨てられているようだが、中に人が住んでいるようにも見える。

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
BN789へご感想