2004年3月号(Vol.34)掲載 (2021年6月17日リニューアル掲載)

壁と僕とベルリンと
第29回 壁を越える小川
松浦 孝久

 駐留米軍の演習場を迂回して壁際に近付くと、森。「ベルリンには緑が多いな」と感心して壁に近付いていくと、棒状の長い金属に足を引っ掛けそうになった。何かと思ったら線路だよ! よく見ると草むらの間にレールは4本、つまり複線だ。かつてSバーンとしてベルリン市内外を結んでいた路線だった。錆びた線路に覆い被さるように茂っている木、枕木の間に伸びている木を見ると、分断の歴史を感じる。
 この森を抜けると見通しがいい。都合のいいことに、こちら側が土手のように小高くなっていて向こうが見渡せる。コンクリート式の壁でなく金網だ。手薄になる警備を補うために配置されている軍用犬も見える。無人地帯の幅は20数メートルと、郊外にしては狭い方だ。そのため無人地帯の裏に立ち並ぶ東ドイツ側の家並みがよく見える。建物は古いけれど、いずれもしっかりした一戸建てだ。西ベルリン側にもアパートなどが立っていることからすると、もともと住宅街として一体だった地域が壁によって寸断されたわけだ。

森の中に残る鉄路跡。というか、線路が放置された結果、木が伸びて森になったというべきかもしれない。
前方の草むらの先に金網があってレールが寸断されている。

郊外のわりに狭い無人地帯。向こう側がよく見える。BT-11と呼ばれる古いタイプの監視塔が立っている。

無人地帯の真裏にある家。
同じ境界線際でも西ベルリン側にあるような狭いアパートより、古くても立派な一戸建ての方がありがたみがある(と、僕は思う)。

庭に洗濯物や布団が干されている。しかし、無人地帯の真裏のこの位置まで人々が出てこられることは珍しい。
なるべく境界線から住民を遠ざけるのが東独では普通だからだ。


 金網沿いに進んでくると徐々に無人地帯の幅が狭くなって、東側の家々がどんどん近づいてくる。東独の車が止めてある。洗濯物が干してある。そして子供が歩いている。ひしひしと生活感が伝わってくる。そこまで10メートルちょっとくらいか。こちら側も金網ぎりぎりのスペースまでがアパートの庭になっていて、花などが植えられている。本当に〝お隣さん〟である。金網の手前には茂った雑草の間で掃除している女性の姿も見える。金網越しには、無人地帯をパトロールする東独の国境警備隊の軍用車が通り過ぎるのも見えるけれど、女性は関心を示す様子もなく作業を続けている。

子供発見! 物置から何かを運び出している。とめてある車は東独製の「ワルトブルク」と見られる。
東独の車と言えば「トラバント」が有名だがワルトブルクの方が格上だ。

壁(金網)で寸断された道路。道の真ん中の看板は「テルトウまで2.8㌔」。
目の前の家並みが壁の向こう側にあるとは信じられないほど自然な位置に見える。

無人地帯の幅は10メートル程度しかない。しかも東ドイツ側には家が接している。
この距離なら簡単に西ベルリン側に亡命できそうだが、それだけ警備も厳しいと思われる。

壁(金網)の前で庭掃除をする女性。
無人地帯にはバリケードが並び、パトロールする警備兵も見えるが、住人にとっては見慣れた風景になっているようだ。


 この住宅街を抜けて進むと、境界線は直角に左手に曲がりテルトウ運河と重なる。流れの中央が西ベルリンと東ドイツの境界線だ。ここは、そんなに大きな運河ではないけれど船が通るらしい。こちらの岸辺には標識が立っていて、「船舶は右側を通行するように」と不用意に越境しないよう注意が促されている。向こう岸に目をやると、金網があって、無人地帯の向こうは林になっている所が多く、住宅は少ない。

テルトウ運河越しに見る監視塔と、東ドイツの家。
一戸建てではなく、集合住宅のようだ。たくさんの木に囲まれた閑静な住環境がうらやましい。

穏やかな川面に風景が映り込んでいる。壁さえなければ、この家もきっと不動産物件としての価値も高いのだろう。

 立ち止まって眺めていると、一隻の船がゆっくりとこちらに向かって来るのが見える。近付いて分かった。遊覧船だ。もちろん西ベルリンの船だ。船上は全体が座席になっていて、ほぼ満席。殆どの乗客は対岸の東ドイツの方を見ている。目の前の監視塔で双眼鏡を構えている警備兵に手を振っている女性もいる。しかし…。運河はこの先数百メートルで東ドイツに入っていくが、船はどこかでUターンするのだろうか? まさか遊覧船がまともに東ドイツに〝入国〟するわけはなかろう。この近くには観光客用の検問所なんてなかったはずだ。思わず考え込む僕の前を、その遊覧船は悠々と通り過ぎて行ってしまった。

船首に星のマークをつけた遊覧船が向かって来る。運河中央の境界線を越えないように航行している。

監視塔前を通過する遊覧船。カメラを構える僕を必死にチェックする警備兵を興味深そうに眺める乗客たち。
立ち上がり、警備兵に向かって大きく両手を振った女性もいた。

運河を利用する船舶に注意を促す看板。川の中央が境界線であり、右側を航行するよう呼びかけている。

テルトウ運河はこの橋から東ドイツに入っていく。信号が点灯していることから、船用の検問所が先にあることが分かる。

集合住宅っぽくも見えるが、建物ができた当初は裕福な家族が一家で住んでいたと思われる。
ドイツでは珍しいことに、人目につくバルコニーに洗濯物が干してある。


 やがてテルトウ運河はまっすぐ東独の中に入り、境界線だけが直角に右に曲がる。この辺の境界付近は草むらのような林のような感じで、境界地帯に小川や池があるせいか湿っぽい。湿地帯のような趣がある。「米軍占領地区終わり」を示す立て看板が沼に水没してたりする。しばらく歩くと、珍しいことに無人地帯の中に池がある。池の周囲にはアシ(?)がびっしり。「池というより沼だね」。無人地帯の真裏には赤い屋根を持った数軒の家が、木々に囲まれるように寄り添って並んでいる。この一帯は「マクノウ・ブッシュ(マクノウの森)」というらしい。

林の先に境界線があることを警告する標識。父母と子供に呼びかけている。
遊んでいる子供が間違って踏み込まないようにとの配慮だろう。

「アメリカ占領地区終わり」を示す看板が半ば水没している。地下水が多いとされるベルリンだが、沼のようになるのは珍しい。

無人地帯内に沼がある。これは亡命者にとっては障害物になるので、東独当局にとっては都合がいいのかもしれない。
普通は除草するが、密生したアシは残されている。


 興味深いのは、この沼から一筋の小川が流れ出ていて、それが壁を貫いていることだ。幅1メートルほどしかないのだが、境界線部分はコンクリートの壁が途切れ、代わりに金網が立てられていて水流を妨げないようになっている。
 よく見ると水が流れる部分は金網がかぶっていない。完璧な遮断を誇るはずの壁に〝穴〟が開いた状態だ。物理的には這って行けば越境できる。そうした亡命への警戒からか、すぐそばには監視塔が立っている。こんな風に配慮されている小川だが、水流というほどの流れは見えないうえ、おまけに、この小川、地図によると、西ベルリンに入って300メートルくらいの所で立ち消えている。存在する価値すらあるかも分からず、本当のところ、壁建設の時に東ドイツ側の部分だけでも埋め立ててしまってもよかったのではと思う。その金網の手前には西ベルリン市が設置した金網があるが、こちらは誤って向こう側に行かないよう完全に小川の中まで遮断されている。「西側は亡命者を受け入れる」という観点からすると、なんだか逆のような気がしないでもない。

沼から流れ出る(あるいは沼に流れ込む)小川。
手前のグレーの金網は西ベルリン市側で設置したもので流れ全体を遮っているが、
向こうの東独が設置した黒い金網は下部が開いた状態になっている。

壁際がちょっとした公園のようになっていてベンチも置かれている。

バスの終点。この広場でグルリとUターンする。西ベルリン中心街のツォー駅あたりから来るバスだ。この先に壁と監視塔が見える。

左手に西ベルリン名物の2階建てバスが見える。ツォー駅方面とを結ぶ路線バスで、ここが終点。
右手に見える住宅は壁の裏の東ドイツの家並み。

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
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