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2004年3月号(Vol.34)掲載 (2021年6月17日リニューアル掲載)
壁と僕とベルリンと | 松浦 孝久 |
駐留米軍の演習場を迂回して壁際に近付くと、森。「ベルリンには緑が多いな」と感心して壁に近付いていくと、棒状の長い金属に足を引っ掛けそうになった。何かと思ったら線路だよ! よく見ると草むらの間にレールは4本、つまり複線だ。かつてSバーンとしてベルリン市内外を結んでいた路線だった。錆びた線路に覆い被さるように茂っている木、枕木の間に伸びている木を見ると、分断の歴史を感じる。
この森を抜けると見通しがいい。都合のいいことに、こちら側が土手のように小高くなっていて向こうが見渡せる。コンクリート式の壁でなく金網だ。手薄になる警備を補うために配置されている軍用犬も見える。無人地帯の幅は20数メートルと、郊外にしては狭い方だ。そのため無人地帯の裏に立ち並ぶ東ドイツ側の家並みがよく見える。建物は古いけれど、いずれもしっかりした一戸建てだ。西ベルリン側にもアパートなどが立っていることからすると、もともと住宅街として一体だった地域が壁によって寸断されたわけだ。
金網沿いに進んでくると徐々に無人地帯の幅が狭くなって、東側の家々がどんどん近づいてくる。東独の車が止めてある。洗濯物が干してある。そして子供が歩いている。ひしひしと生活感が伝わってくる。そこまで10メートルちょっとくらいか。こちら側も金網ぎりぎりのスペースまでがアパートの庭になっていて、花などが植えられている。本当に〝お隣さん〟である。金網の手前には茂った雑草の間で掃除している女性の姿も見える。金網越しには、無人地帯をパトロールする東独の国境警備隊の軍用車が通り過ぎるのも見えるけれど、女性は関心を示す様子もなく作業を続けている。
この住宅街を抜けて進むと、境界線は直角に左手に曲がりテルトウ運河と重なる。流れの中央が西ベルリンと東ドイツの境界線だ。ここは、そんなに大きな運河ではないけれど船が通るらしい。こちらの岸辺には標識が立っていて、「船舶は右側を通行するように」と不用意に越境しないよう注意が促されている。向こう岸に目をやると、金網があって、無人地帯の向こうは林になっている所が多く、住宅は少ない。
立ち止まって眺めていると、一隻の船がゆっくりとこちらに向かって来るのが見える。近付いて分かった。遊覧船だ。もちろん西ベルリンの船だ。船上は全体が座席になっていて、ほぼ満席。殆どの乗客は対岸の東ドイツの方を見ている。目の前の監視塔で双眼鏡を構えている警備兵に手を振っている女性もいる。しかし…。運河はこの先数百メートルで東ドイツに入っていくが、船はどこかでUターンするのだろうか? まさか遊覧船がまともに東ドイツに〝入国〟するわけはなかろう。この近くには観光客用の検問所なんてなかったはずだ。思わず考え込む僕の前を、その遊覧船は悠々と通り過ぎて行ってしまった。
やがてテルトウ運河はまっすぐ東独の中に入り、境界線だけが直角に右に曲がる。この辺の境界付近は草むらのような林のような感じで、境界地帯に小川や池があるせいか湿っぽい。湿地帯のような趣がある。「米軍占領地区終わり」を示す立て看板が沼に水没してたりする。しばらく歩くと、珍しいことに無人地帯の中に池がある。池の周囲にはアシ(?)がびっしり。「池というより沼だね」。無人地帯の真裏には赤い屋根を持った数軒の家が、木々に囲まれるように寄り添って並んでいる。この一帯は「マクノウ・ブッシュ(マクノウの森)」というらしい。
興味深いのは、この沼から一筋の小川が流れ出ていて、それが壁を貫いていることだ。幅1メートルほどしかないのだが、境界線部分はコンクリートの壁が途切れ、代わりに金網が立てられていて水流を妨げないようになっている。
よく見ると水が流れる部分は金網がかぶっていない。完璧な遮断を誇るはずの壁に〝穴〟が開いた状態だ。物理的には這って行けば越境できる。そうした亡命への警戒からか、すぐそばには監視塔が立っている。こんな風に配慮されている小川だが、水流というほどの流れは見えないうえ、おまけに、この小川、地図によると、西ベルリンに入って300メートルくらいの所で立ち消えている。存在する価値すらあるかも分からず、本当のところ、壁建設の時に東ドイツ側の部分だけでも埋め立ててしまってもよかったのではと思う。その金網の手前には西ベルリン市が設置した金網があるが、こちらは誤って向こう側に行かないよう完全に小川の中まで遮断されている。「西側は亡命者を受け入れる」という観点からすると、なんだか逆のような気がしないでもない。
執筆/画像提供 松浦 孝久 |