現在サンスーシー宮殿の建っている辺り一帯は当時、フリードリッヒ大王所有のプラムやイチジク、ぶどうなどの段々畑でした。 ですがこの土地の美しさに魅せられた大王は、1年後には、ここにお城を建てさせることに決めました。そうして建てられたのがサンスーシー宮殿です。
 
サンスーシー宮殿
Schlos Sanssouci
 サンスーシー宮殿は、プロイセン王、フリードリッヒ大王の夏の離宮として建てられました。1745年のことです。 設計にあたったのは、彼のお抱え建築家、ジョージ・ヴェンツェスラウス・フォン・クノーベルゾルフで、典型的なロココ様式です。
 2年の歳月をかけてこの城が完成したとき、フリードリッヒ大王が35歳で、以来、74歳で亡くなるまでの人生のほとんどを彼はこの宮殿で過ごしました。天に召されたのもこの城の一室で、ソファーの上で眠るように亡くなっていたということです。城内には、その当時のソファーが今でもその場所に置かれています。

 彼は北ドイツでは不可能である「ぶどう畑を所有する」ということに非常な憧れを抱いていたので、城内、部屋の至るところに、ぶどうの絵柄が用いられ、城から下へと伸びている庭の階段の段差の部分にはぶどう木がたくさん植えられています。
 もう、観光の本などでご存知だとは思いますが、このお城はお城から下方への眺めももちろん美しいですが、下の庭に降りきって中央部分から城を見上げるのが特に美しい光景です。この光景はこの場所からでしか体験できませんから、撮影は後悔しないように十分に行なってください。

 また、フリードリッヒ大王は大変な人嫌いで、犬をこよなく愛していました。彼は「自分の死後は飼っていた11匹の犬と一緒に埋葬してほしい」という遺言まで書いていましたが、実際にそれが叶うまでは大変な年月を要しました。彼は死後、まずポツダム市内にある、ガルニソン教会に葬られ、第二次世界大戦のおわりには遺体はチューリンゲンの岩塩鋼に隠されることとなり、戦後はシュトゥットガルトの近く、ホーエンツォーレァーン城に移されてしまいました。こうして46年が過ぎてしまい、このたび、東西ドイツ統一を経たあと、1991年8月、ようやく彼の願いは叶えられることになりました。彼は今、犬たちと共に、サンスーシー宮殿の傍らに眠っています。

 

ノイエ・パレー
Neue Palais
 ノイレ・パレーはプロイセン王国の七年戦争の勝利の際にその記念として1763年から6年をかけて建てられた新宮殿です。この建物は、主に大切な来賓の客間として使用されていました。来賓のために劇場もノイレ・パレーの南側の部分に建てられました。

 

絵画ギャラリー
Bilder Galerie
 この絵画ギャラリーは、フリードリッヒ大王の収集していた絵を飾るために、1755年からその建築が始まりました。美術館という目的で建てられたのは、ここがヨーロッパで初めてです。博物館としてはドイツの中で最古の建てものです。

 

中国茶館
Chinesisches Teehaus
 この建物は、当時大流行した『中国』のイメージで建てられたティーハウスです。1754年から57年までの3年をかけて完成しました。建物の周りにはお茶を飲む姿、または音楽を奏でる姿に形どられた、金箔の等身大の中国人たちの像が多く並び、屋根の上には傘を差したユニークな中国人の像も見られます。

 

ノイエ・カマー
Neue Kammer
 ノイエ・カマーは「新倉庫」という意味で、当初は夏の間、庭に並べている植物を冬の期間、保管するための建物(オランジェリー)として建てられました。そこが1771年から3年の歳月をかけ、客間として改装され、美しい迎賓館となりました。城内には7部屋の客間と4つのパーティー会場があります。

 

シャルロッテン・ホーフ
Charlotten Hof
 シャルロッテン・ホーフはもともとは農家として建てられましたが、フリードリッヒ大王の息子、フリードリッヒ・ヴィルヘルム王が、1826年に自身のお城にするために改築しまし、現在のようになりました。

 

ローマ風呂
Romische Bader
 ローマ風呂は複数の建物で成り立っており、ローマの邸宅風の様式をもっています。1829年から40年の間に建てられました。

 

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