2001年8月号(Vol.6)掲載 (2019年1月25日リニューアル掲載)

壁と僕とベルリンと
第6回 「ディープな路地と謎の美女」
松浦 孝久

「ハインリッヒ・ハイネ通り検問所」右手のアパートから、東ベルリンの壁裏を見ていた僕は思わず息を飲んだ。壁や鉄条網の真裏にアパートがあるからではない。そのくらいのことは、この辺では当たり前なのだ。
 何気なく見ていたアパート1階の窓の奥に若い女性の影が見えたのだ。
「えっ、ウソだろ!」という感じだ。
 壁の近くの住居からは亡命しやすい。だから住むのは基本的には高齢者だ。高齢者ならもう仕事は引退しているので、仮に西側に逃げられても労働力ではないので、東独の計画経済にも影響はない。それどころか、いなくなれば政府としては年金を負担しなくてもいいくらいなのだ。高齢者以外では、政府や党の関係者なら境界近くに住めると聞いた。つまり政治的信条がバリバリの「共産主義」で、亡命することなんか考えないような人たちってことだ。彼女もそうなのか…。「謎だ」。

鉄条網の真裏にあるアパートで見かけた謎の美女。バリバリの共産党員 なんだろうか。


 疑問を抱きながらも僕はアパートを出て歩き始めた。この周辺は西ベルリン側はクロイツベルク地区。ドイツが戦後復興のための労働力として招聘したトルコ人労働者やその家族が多く住んでいる地区だ。トルコ人がやっているトルコ人向けの商店もたくさんあって、異国情緒漂う街角があちこちに見られる。そしてパンクの若者や社会に背を向ける左翼的なツッパリ連中も多いという。しかも壁がある。3拍子そろった、かなりディープな場所なのだ。

買い物帰りとみられる外国人の家族。

スーパーの買い物用ワゴンが転がっている横を自転車の少年が通り抜ける。

ゴミ回収用のコンテナが置かれている。
この路地は東ベルリンの領域なのに、西ベルリン市のゴミ回収車が、ここまで入って来るのだろうか?


 左手には壁、その右側5メートルほどには見た目にも古いと分かるアパートが立ち並んでいる。すすけた色をしたゴツゴツした感じの石造りだ。今、僕が歩いているこの路地は、セバスティアン通りの歩道部分。わずか数十メートルに過ぎない路地だが、壁とアパートに挟まれて息が詰まりそうだ。この路地は行政的には東ベルリン側に属している。そのうえ壁のせいで日当たりが悪い。道行く人は、トルコ人や僕みたいな外国人、ベルリン人、アナーキーな若者…と様々だ。かと思うと子供が無邪気に遊んでいたり、車やバイクが止まっていたり、さらには東ベルリン側だというのにゴミ回収用のコンテナまでが置かれている。アパートの窓には何やら政治的なメッセージのような言葉が書かれた旗みたいな布が掲げられていたりする。何だか不思議な、異様な空間に迷い込んだみたいな感じがする。


 重い足取りながら、この道を無事抜けると突然、目の前が明るくなった。実際、壁は左手に曲がっていて視界が開けたのだ。
 ホッとして気が緩んだせいか、どうでもいいことが頭の中を駆けめぐった。
「鉄条網の裏の自由のない美女か、自由があり過ぎて混沌とした西ベルリンか…。どっちを取るべきか、迷うなあ。」
 うーん、と考え込んだ。しかし、まったくの愚問だった。僕は紛れもなく西ベルリン側を歩いているのだ。

見るからに古めかしい、いかついアパートが並んでいる。壁に負けまいとして立っているようにも見えてしまう。

路地入り口(出口でもあるが)。左手に何やら看板が立っている。

看板のアップ。
「アメリカ占領区はここまで。ここから先の場所は東ベルリン」とドイツ語で書かれていて、路地が西ベルリンでないことを警告している。
そして同じ内容がトルコ語でも併記されている。トルコ人の多さが想像できる。

並んでいる車もアナーキーな雰囲気を醸し出している。アパートの窓には政治的主張を記した横断幕が掲げられている。

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
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