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2004年12月号(Vol.42)掲載 (2022年5月1日リニューアル掲載)
壁と僕とベルリンと | 松浦 孝久 |
湖のように太いハーフェル川は対岸が東独だったが、やがて境界線が内陸部へカーブしていくため、川の向こう側も西ベルリンとなる。静かで環境はいいのだが風景は単調で、歩くには少々退屈だ。多少の家並みは見られるが、あっち側もこっち側も森や林が続いている。やがてグロース・グリーニッケ湖が現れる。長さ約1.8キロで、対岸までは遠い所でも500メートルほど。真中に境界線がある。ボート遊びやボードセイリングを楽しむ人、砂浜で日光浴をする人、犬の散歩をする地元民らの姿が見られる。
この湖を後にすると、リゾート地っぽいのんびりした雰囲気は消える。というのは、西ベルリン側には民家もなくなり、壁の向こう側も森や草原になってしまうからだ。しかしこのあたりから壁は金網になり、少なくとも無人地帯が透けて見えるようになる。そこで金網に寄り添うように歩いてみる。金網の手前5メートルくらいは木を伐採してあるが、この領域は東ドイツの領土だ。その手前からが西ベルリンであり、ポツダム通りという道路が並行している。つまり僕が歩いているのは東独の領土ということになる。チェックポイント・チャーリーやブランデンブルク門近くなどの市中心部でも事情は同じで、たとえ壁のこっち側であっても壁際数メートルは東側の領域なのだ。殆どの観光客らは知らずに歩いているけれど、東独側が黙認しているのが実情だ。
ときどき、こちらが小高くなっているため無人地帯全体がよく見渡せる。こんな景色を眺めながら、東独に越境した状態のまま僕は歩いていく。向こうの警備兵が軍用車でパトロールしたり、僕の姿を見つけて司令部に電話連絡したりと、いつもと変わらない光景だ。そんな中、警備兵が2人乗りしたオートバイが走っていた。これもパトロールや監視勤務交代のための移動といった、よく見られる行動なので別に気にも止めなかった。
しかし、それが間違いであることを約10分後に知ることとなった。実はこのオートバイは通常の巡回や移動ではなく、僕を探していたのだった。彼らは一度は走り去ったものの、やがて戻って来て立ち止まり、2人はオートバイを降りた。もちろん彼らは無人地帯内の軍用道路におり、僕は金網のこちら側にいる。距離は20メートル以上ありそうだ。
1人の兵士がグレーのメガホンをかざし、こちらに向かって叫んだ。
「あなたはドイツ民主共和国の領土にいます。すぐに立ち退きなさい!」。
「わおっ、呼びかけられたよ。」
これまで警備兵から双眼鏡やカメラを向けられたことは何回もあったけど、メガホン越しとはいえ直接声をかけられるのは異例だ。東独にとっても目障りなのだろう。早く追っ払いたかったに違いない。おそらく向こうは僕のことを、市民が越境してるとは知らずに散歩してる、と考えていたのだろう。警備兵が金網を乗り越えて僕を捕まえに来ることだって本来は可能だから、「ベルリンの壁を調べている」なんてことがバレたら、スパイ容疑で逮捕しに来てもおかしくはない。しかも、もし身柄拘束されたら、こんな郊外では西ベルリン側に目撃者がいないので非常に危険だ。ありえないことだろうが、そのまま抹殺されても西側には知られないままかもしれないのだ。
色々な考えが頭をめぐった結果、ここは相手の言うことを聞いておとなしく西ベルリン側へ戻ることにした。そこで金網際を離れ、数メートル手前の道路まで出て、その端を歩くことにした。しばらく行くと、木々の間から見える金網に異変が起きていることに気づいた。そこで、再び金網際へこっそりと侵入してみると、周辺がフェンスで囲われている。人はいないが、何かの工事をした形跡がある。囲まれた場所をよく見ると、ちょうど金網が古いタイプの壁にかわる部分だ。どうやら古い壁を取り壊して、金網に作り替える工事が行われたようだ。「どおりでここまで歩いて来た金網がきれいなわけだ。今日は工事は休みか」。いずれにせよ、フェンスが設置されたままであるということは、工事は続行される可能性がある。〝壁バカ〟な自分としては「ぜ~ったいに見たい!」ので、日を改めて訪れることにした。
執筆/画像提供 松浦 孝久 |