2005年4月号(Vol.45)掲載 (2023年1月12日リニューアル掲載)

壁と僕とベルリンと
第38回 天国か地獄か…「飛び地」の休暇
松浦 孝久

 西ベルリンの西側郊外という、およそ観光客が壁を見るためには来ない所を僕は歩いている。閑散としているが、単調な境界線が続いているわけじゃない。実は変な地形満載で興奮度アップの地域なのだ。まず「アイスケラー」という地区。広さ50ヘクタールで、壁のすぐ裏に位置する西ベルリンの飛び地だ、というか以前は飛び地だった。家が数軒ある。現在では西ベルリンと事実上一体化されているが、かつては陸の孤島だった。西ベルリンとの往復には東独内の道を通らねばならず、市民には不便だった。東側警官の嫌がらせでその道が閉鎖されることもあった。そのため12歳の少年が西ベルリン本土の小学校に行くのに、この地域を占領・管理していたイギリス軍が護衛したほどだ。実際、英軍の装甲車を後ろに従えて自転車に乗って通学する少年の写真が残されている。

ドイツには石畳の道路が多い。10センチ四方くらいの石をパズルのように路面に埋め込んである。
見た目には情緒があるけれど歩きにくいかも。

壁の向こうに見える建物は東独の教会。なんと15世紀の中ごろに建てられたものだという。
塔の部分は1712年の建設だ。

壁を貫いて鉄道が通っている。西ベルリンと西ドイツを結ぶ列車が走る。
壁に「穴」が開く形になるので警備は厳しい。
線路の両側にはずっと先まで壁が続き、左手には監視塔が立っていて、にらみをきかせている。

境界が封鎖される前にはちゃんと使われていたはずの街灯。壁際に放置されたまま残骸となっている。

かつての貨物線。レールが壁により露骨に分断されている。

このあたりがアイスケラー地区。かつては完全な飛び地で、住民が西ベルリンとの往来に苦労した。
左手に立っている看板はイギリス軍の占領地区終点を示すもの。写真右手に金網の境界線が見える。

アイスケラー地区で見つけた木造の監視塔。
今は使われていないが、東独側が古いものを壊さず、そのまま放置してある。撤去するのが単に面倒なだけだろうか。


 アイスケラーから境界線沿いに5キロほど行くと、またも西ベルリンの飛び地に出くわす。こちらは「フィヒテヴィーゼ」と「エルレングルント」という二つの飛び地が隣接している。両方合わせて約4ヘクタール。周辺は全体的に森で、無人地帯は数十メートルの幅があり、そのすぐ裏にこれら二つの飛び地はある。こちらは今でも西ベルリンとは一体化されてはいない本当の飛び地のままだが、西ベルリン市民の別荘が何棟かあって、所有者は壁を越えて往来している。そこに出入りするには、事前に東独側に名前を登録しておかねばならず、リストに掲載されている対象者は約60人という。

壁の裏には東独の住宅地が広がっている。

ベルリン西郊の本当に静かな地区で、生活するには理想的な場所だと思う。
こんな落ち着いたところでは、壁や無人地帯は異様な存在だ。

無人地帯内を自転車でパトロールする東独の警備兵。右側の兵士が背中にしょっているのは自動小銃だ。
写真では見にくいが、左の兵士も自動小銃を肩に下げている。

これは珍しい。無人地帯内の軍用道路に立っている速度規制の標識。時速10キロ。
横から誰かが飛び出すわけでもあるまいに、なぜ必要なのか分からない不思議な標識だ。

コンクリートの壁じゃなない。金網が延々と続いている。
左側(東独)には監視塔や軍用道路といった施設がないばかりか、林が普通にあるので境界線という感じが全然しない。
冒険心あふれる元気な子供なら乗り越えてしまうかも。

イギリス軍が立てた看板のアップ。
「イギリス地区の終点。これより先、立ち入り禁止」と英語で書かれ、その下にはドイツ語で
「イギリス地区の終点。この先はドイツ民主共和国」と記されている。
同じ看板なのに、なぜか内容が少し違っている。

小川が境界線を貫いている。フェンスの下、水路の部分にはパイプが置かれている。
境界の完全封鎖を目指す東独だが、さすがに水の流れまでは遮断できないようだ。
中央の太いパイプには逃亡防止のために金網がかぶせられている。

無人地帯を巡回する東独の国境警備兵がフェンス越しに見える。
兵士自身の亡命を防ぐため、こうしたパトロールなどは必ず2人組みだ。
それも、なるべく知り合いでない者同士がペアとして組み合わされるという。


 西ベルリンから飛び地へ行こうとする市民は、まず壁際にある専用電話で東側の国境警備隊に連絡を取る。ただし24時間いつでもOKというわけではない。受付時間は平日だと日に3回、計8時間だけだ。電話がつながると、壁に設けられているフェンスの扉が遠隔操作で開けられ、境界線を踏み越える。両側をフェンスに挟まれた幅1メートルほどの通路を歩き、無人地帯の中ほどにある検問所へ行く。そこで身分証明証を見せ、さらに事前登録されたリストと照合される。これがクリアされると居住者は飛び地へ行けるのだ。検問小屋の先、通路は二股に分かれており、右手がエルレングルント、左手がフィヒテヴィーゼだ。こうした手続きを経てようやく飛び地へたどり着き、別荘へ入れるのだが、実はそこには電気も水道も電話も通っていないという。そのため水・食料や燃料など生活必需品をすべて持ち込む必要がある。

飛び地へ行くために東独側と連絡を取るための電話。

フィヒテヴィーゼ、エルレングルントという西ベルリンの飛び地へ行くための入り口。
真ん中付近にいる3人の兵士は周辺を警備するイギリス兵。
右手のカメラ目線のオヤジが海パンであることから分かるように、すぐ右手はハーフェル川で、水遊びする人が多い。

壁に設けられたドアが東独側の遠隔操作で開けられ、飛び地の住人が壁を越えるところ。
実際に行くのは右側の男女2人(荷物を運んでいる人たち)だけで、ほかの3人は見物人だ。

白い建物が無人地帯にある検問所。ここで身分証などの確認を受けてから住人は飛び地へ進む。

無事検問を終えた住人がフェンスに挟まれた通路を歩いてエルレングルントへ向かっていく。


「別荘とはいえ、そこまで不便な休暇を過ごして面白いんかね」というのが僕の感想だ。周囲には壁が巡り、当然ながら飛び地の外へは出られず、まともに散歩もできない。それどころか、エルレングルントの方は、土地がハーフェル川に面しているにもかかわらず、水浴びしたり、ボートで繰り出すことができないのだ。この川は真ん中に西ベルリン-東独間の境界線が走っている。たとえ飛び地が川に面していても、岸辺周辺は東独の領土のため立ち入ることは不可能だ。遊覧船が通るほどの太さがあるハーフェル川。西ベルリン側では釣りをしたり、ボートに乗って遊ぶ人がたくさんいるというのに、飛び地にいる限りはおとなしく過ごすしかない。

飛び地のすぐ近くを流れるハーフェル川をいく西ベルリン市民のヨット。
川の中央に西ベルリン-東独の境界線があり、それを示す東ドイツ側のブイが浮かんでいる。

かつてSバーン(電車)が走っていた線路上に立つ看板。「フランス地区の終点。危険」と書かれている。
実際、この20メートル先、森が開けて明るく見えるあたりが境界線で、レールは途切れている。

西ベルリン最北部のフローナウという地区。東独は森を切り開いて無人地帯を作っている。
このあたりの監視塔は、人手不足のためか警備兵が不在の所もある。写真の監視塔も空っぽの時があった。

境界線付近が湿地帯で、この辺まで来ると足がズブズブと草に潜り込み、靴はびっしょり。
さらに小川があって、その中央に厳密な境界線があると、この看板に記されている。

すごいごっつい壁に見えるが、金網だ。
金網にはりついて撮影したため、たまたまフェンスが見えず柱ばかりが写ったため、万里の長城のような写真になった。

壁際で演習するフランス軍兵士。
郊外の境界線付近なら場所が取れることや、東独に対して占領軍としての立場を誇示する意味があるのだろう。
この演習を見た東独側の警備兵は慌てて司令部に連絡していた。
しばらくすると、カメラを持った兵士が現われ、壁から身を乗り出して写真を撮っていた。


 静かにしている分にはいいが、万一、夜間に急病なんかが発生したら最悪だ。西ベルリンに戻ろうにも時間外なら検問所は対応しない。仮に無線機を持ち込んでいて、西ベルリンの誰かと連絡が取れたとしても何ができるだろう。西ベルリン当局が、せいぜい東独側に支援を要請できるかも知れないが、人権意識を欠いた東ドイツが迅速に動くわけがない。
 そうなると飛び地で過ごすメリットは…。おそらく、日ごろの喧騒や仕事のわずらわしさから離れられることかも知れない。なにしろ外界と完全に隔絶されており、緊急な用事でも連絡が取れないのだ。不便さを逆手に取れば、ゆっくりと過ごすには最適だろう。ある意味、天国といえる。でも、理屈では分かるものの、「社会から閉ざされることで、逆に不安になってストレスがたまりそう」と考える僕はやっぱり貧乏性なんだな。

草原地帯の境界線。目立たない色だが金網があって、無人地帯があって、真っ白な壁がある。
無人地帯には軍用車がとまっていて、2人の警備兵がその横に立っているのが見える。

黄金色に実った小麦畑の横をパトロールする西ベルリン警察の車。右側のフェンスが境界線。

このあたりから境界線の向こう側は東ベルリンになる。
西側は高層アパートが立ち並ぶ住宅街だ。普段の生活の場のすぐ先に壁が立ちはだかる。

「壁はいらない!」というメッセージが赤いスプレーで書かれている。

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
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