2003年5月号(Vol.26)掲載 (2020年9月13日リニューアル掲載)

壁と僕とベルリンと
第23回 目印はプリンス!?
松浦 孝久

 今まで歩いてきたテルトウ運河は、やがてカーブして東ベルリンの中の方へ姿を消す。境界線は再び陸上に戻る。そして、その先に僕がひそかに楽しみにしている場所があるのだ。場所というより、「位置」といった方が正しいかもしれない。そこには建物があるわけでもないとは想像がつくが、何か物体があるかどうかは不明なのだ。


 当たり前だがベルリンという街は東西に分断されている。そのせいだろう。ベルリンの壁は「東西ベルリンを仕切る壁である」と説明された本や資料が多い。じゃあ、壁伝いに東ベルリンを見ながら歩いてきたとする。すると、いつかは東西ベルリンの境界が終わり、西ベルリンの向こう側が東ベルリンでなく東ドイツになる。壁の向こう側が東ベルリンから東ドイツに変わる、その境目はどうなっているのか? そこには何か目印でもあって、「ここよりドイツ民主共和国」とか表示されているのか? それ以前に、そもそも壁はあるのだろうか? いろんな疑問、そして未知なるものを見に行くのだというワクワク感が腹の底から湧き上がってくる。

東西ベルリンの位置関係。ベルリン自体は東ドイツの中にある。


 問題の地点に到達するまではもう少し。だがその前に、こちら側に小高い丘があるので登ってみる。ベルリンはもともと平坦な土地だが、郊外に行くと時々こうした丘に出会う。これらの丘は、戦争末期の連合軍による爆撃で崩れた建物の瓦礫(がれき)を積み上げて(=捨てて)できているらしい。丘の上からは無人地帯の裏に東ベルリンの家並みが見える。さすがに郊外だけあってアパートはない。そして家の裏には高さ1メートルちょっとくらいの標識がいくつか立っていて、そこより壁の方に立ち入らないよう警告している。標識には「止まれ 境界地帯」と書かれているはずだ。考えてみれば「私有地につき立ち入り禁止」という看板と、そう意味は違わない感じもする。しかし、ひとたび境界地帯に入り込んで壁に近づけば、その人の人生にとって取り返しのつかないことになるのは明らかだ。

壁際にある丘の上から。一戸建ての家がたくさん並んでいるのが見える。
日本のウサギ小屋と呼ばれる家と比べて、住み心地はどうだろうか。

よく見ると、家の裏の方に、赤白に塗られた支柱の看板(標識)が立っている。
そこから壁の方へは立ち入りが禁止されているのだ。

壁の向こう側に見えるのは東ベルリンの工場など。

壁ができて20数年。木の成長ぶりを見れば壁の歴史の長さが分かる。

手前に見えるコンクリートの杭は、東ドイツが最初に壁の建設を始めたころに立てた鉄条網用のものと思われる。

古いタイプの壁と新しいコンクリート壁の境目。新しい方が少し背が高くて3.6メートルある。


 丘を下ってさらに例の地点を目指すと、目の前に原っぱが広がっている。「郊外だけあって広いなー」と感心していると、「ありゃー、牛がいるよ!」。何頭かの白黒ぶちや白と茶のぶちなどの牛たちが、壁の手前200メートルくらいの所に広がる牧場?で草を食(は)んでいる。ずっと壁を歩いて来て、初めてめぐり会った本格的なのんびりした風景。自分まで一緒にのんびりしたくなるところだが、その気持ちを抑え、「先を急がねば」と歩き続け、緊張感を高める。

なんと壁際に牧場があった。ちゃんと牛を囲う柵もある本格的なものだ。ずっと先の方に白い壁が見える。

白すぎる壁が風景になじまず妙に浮いた存在に見える。

壁際に小道があるので地元の人には便利。ジョギングや散歩には最適だ。

東ベルリン側を見るための物見台、そして壁の向こうには白い監視塔が見える。

先ほど登った丘が見える。ベルリン郊外にはこうした丘が多い。
戦争の空襲で壊れた建物の瓦礫(がれき)を運んできて捨てたものだ。


 この先に検問所があるが、地図によれば、その直前に問題の場所があるはずだ。このあたりの壁はコンクリート製で真っ白。落書きもない。古くなった壁や金網を取り壊して、最近作りかえられたばかりであることが分かる。まぶしいばかりに白い壁伝いに歩いていくと、あらら、10数メートル先で壁が切れているではないか。「ということは、そこが検問所じゃないか」。例の地点はまさにこの辺りなんだが、「白い壁がつながっているだけで何もないよー」。西ベルリンの向こうが、東ベルリンであっても東ドイツであっても壁は壁。区別はなく、西ベルリン全体を囲っているのが事実だった。

壁が白過ぎて周囲の色と合わず、写真を撮る際の露出もうまく決められないほどだ。

壁が切れている。検問所の出入り口だ。街中の検問所と違って出入り口部分の警備が思ったほど厳重ではない感じに見える。

このあたりが東ベルリンと東ドイツの境目だが、それを示す標識はなく、代わりに?
ロック歌手プリンスがスプレーで描かれている。

 理屈では分かっていたが、がっかり…。目印もなしか…。いや、ひとつある。ここまで落書きのまったくなかった壁だが、ちょうど問題の地点にあたる部分にポツンと。ロック歌手のプリンスが、レコードジャケットのポーズそのままに、黒いスプレーを使ったマスキングで描かれていた。プリンスと壁の関係は「?」であった。

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
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