2002年6月号(Vol.16)掲載 (2019年10月21日リニューアル掲載)

壁と僕とベルリンと
第15回 バルコニーの赤い花
松浦 孝久

 運河にかかる石造りの橋が見えてきた。「ローミューレン橋」だ。あの橋から先がノイケルン地区だ。クロイツベルク地区と並びディープな街と称される。橋のたもとまで来ると向こう側には壁が見える。右の方へ進むと壁は間もなく左手に曲がっていくため、橋を渡っても右手には西ベルリンの住宅街が広がっている。橋の向こうには物見台がある。その階段部分には学生だろうか、若いカップルが腰を下ろして話し込んでいる。壁を見に来たわけではなさそうだ。その向こうの監視塔では若い警備兵が双眼鏡でカップルの後姿を見たりしている。
 僕も物見台に上ってみた。「こんにちは」と挨拶して先ほどのカップルの横を上がって向こう側を見る。無人地帯や監視塔があるのは普通の眺めだが、その裏側のアパートの様子が不自然であることを僕は見逃さなかった。 「何か変だ。」

あの橋の向こうが、いよいよノイケルン地区だ。

壁の裏には東ベルリンのアパートが迫っている。

普通の道路のように見えるが、運河にかかるローミューレン橋だ。

橋の向こうにある物見台に座って話し込む若い2人。カメラを構える僕を見ている。

物見台に上って東ベルリンを見る初老の2人。男性の方が色々と説明しているようだ。

壁の向こうに見えるアパートは、何だか不自然な形だ。ばっさり切られたように見える。

ローミューレン橋と壁。

物見台から見た不自然な形のアパート。


 5階建てのアパートなのだが、無人地帯に接している側の壁が全面トタン板状の資材で覆われているのだ。ドイツのアパートには、建物の一面が壁になっていて窓がないことがよくある。でも全面をトタン板で覆うってのは普通じゃない。あきらかに建物を改装して、後から取り付けたようにしか見えないのだ。
 壁にまつわるある話を思い出した。
 --壁を警備するために無人地帯を作る。ところが、その場所に家やアパートが立っている場合、東独当局は邪魔な建物を取り壊し、住人を強制的に退去させた--。

壁がほぼ直角に曲がっている。

東西ベルリンの境界を示す看板。やはりトルコ語でも書かれている。

左下に通行止めを示す赤白の障害物が見える。本来なら道がまっすぐ続きローミューレン橋とつながっていた。

壁の上にとまったカモメ?

 この措置はベルリンだけでなく、東西ドイツ国境地帯でも「ヤグルマギク」などの作戦名で大々的に行われ、無人地帯を設置する予定の場所は更地にされた。その際、対象となる住民にも事前には一切知らされることはなく、国境警察などの部隊が突然やって来て、居住者は数時間以内の立ち退きを命じられたうえ、移転先は一方的に指定された。そのため住人も限られた家財道具しか持ち出すことができなかったという。そして住人が立ち退くと家屋が解体された。また無人地帯になる場所でなくても、境界線に近い場所の居住者が「亡命の恐れあり」と当局ににらまれれば強制退去させられたらしい。

壁際で遊ぶ子供達。

壁際を自転車でいく若者。壁の大きさが分かる。


 今、僕の目の前に立っているアパートも、そんな運命をたどったのかも知れない。アパート全体を取り壊すには大き過ぎたため、無人地帯を作るうえで邪魔になる部分だけを取り除き、「手術」の跡をトタン板で覆ったというのが、僕の考えるシナリオだ。そして、無人地帯の真裏になった残されたアパートの部屋に住むのは、社会主義統一党(共産党)の関係者ら国家に忠実な人たち、というわけだ。

右側が西ベルリンのアパート。壁の向こうには東ベルリンのアパート。

物見台の上から。
壁がぐるっと曲がっているため、この位置からだと壁の 裏側が見える。だから壁の向こうに見える建物は西ベルリンになる。

ローミューレン橋のそばにある物見台が壁越しに見える。珍しいことに若い女性が2人で壁を見に来ている。

わざわざ壁を見に来る若い女性などめったにいないため、監視塔からも警備兵が、ここぞとばかりに双眼鏡で女性たちをチェックしている。

 左に直角に曲がる壁に沿って数十メートル歩くと、また物見台がある。ここに上ると先ほどの切断されたアパートや隣のアパートのバルコニーが見える。無人地帯に接した部屋のバルコニーには、ドイツ人がよくやるように花のプランターが置かれている。目の前は鉄条網なので誰に見せるわけでもないと思うのだが、ドイツの伝統だけは大切にしたいという、住んでいる人の気持ちが込められているのだろうか。所々、壁がはがれ落ちた建物に赤い花がまぶしい。2羽のハトが無人地帯を横切るように東ベルリンから西ベルリンへと飛び去った。

鉄条網の真裏がアパートだ。バルコニーには赤い花のプランターが置かれている。

無人地帯を横切るように飛ぶ2羽のハト。

 

 執筆/画像提供  松浦 孝久
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